2009年9月3日木曜日

吉水千鶴子「新出カダム派文献研究とチベット仏教思想史の再構築」

 近年のカダム派系文献の発見により、チベット仏教研究は転換点をむかえている。これまで知られていなかった仏教後伝期初期(10~13世紀)のチベット仏教の姿が、これらの一次資料をとおして正確に知られることとなったのである。これにより、これまで研究の中心であったツォンカパとゲルク派の思想、あるいはサキャ派の思想が生まれ出た土壌が明らかになり、チベット仏教思想史全体を再構築できる期待が高まっている。しかしながら、これら新出文献の研究は始まったばかりであり、ここでは、その研究が進んだときにもたらしてくれる成果を予想しながら、私たちはどのような問題について考慮しながら、チベット仏教思想史の見直しを行っていくべきか、提言を行いたい。

 カダム派新出資料のほとんどは、近年出版されたカダム文集に収められている。とくに研究者の注目を集めているのは、パツァプ・ニマタク、チャパ・チュキ・センゲなどの著作であり、欧米でも研究が始められている。ここに含まれない新しい資料としては、サパンの師であったツゥルトゥン・ションヌ・センゲの著作、私が現在写本研究を行っているシャン・タンサクパによるPrasannapadā 註釈などがある。

 チベット仏教のコアを形成する論理学と中観思想に関して言えば、これら後伝期初期の文献を垣間見ただけでも明白なことがある。それはすでに前伝期に決定づけられ方向性ではあるが、論理学とそれに依拠した自律論証派系中観思想がまず、チベット仏教思想の基礎にあり、後伝期に新たに導入された帰謬派系の思想もその基盤のもとに受容されたということである。そもそも、学説綱要書を頼りに理解してきた自立派、帰謬派などの学派分類とその学説も、11~12世紀の実情とは必ずしも一致しない。インドにおいてすら、6世紀以降の中観思想はすべて論理学の大きな影響下にあったのである。チャンドラキールティ著作の翻訳者パツァプとその弟子たちに帰せられる「離辺中観説」というものも、論理学と中観思想のある種の融合であることがわかりつつある。後代のツォンカパンの論理重視の姿勢は、こうした時代背景の中から生まれたと言えよう。この問題はほんの一端であり、私たちはこれまでの常識を捨てて、新資料を取り組み、より正しいチベット仏教思想史を描き直していく必要があろう。

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