2009年9月9日水曜日

本日はありがとうございました

 本日、パネルが開催されました。多数のご来場ありがとうございました。初めての試みで、どのようなことになるか見当も付かず、出たとこ勝負でしたが、混乱もなく、またディスカッションも途切れることなく、無地終了することができました。

 これから、発表の資料や音声など順次公開していこうと思いますので、今後とも引き続きご覧頂ければと思います。

 もしよろしければ パネルの感想などコメントに書き込んでいただければ幸いです

2009年9月7日月曜日

パネルの各先生の聞き所

 各先生のお話のポイントについて紹介記事を書きました。参考にして下さい。

2009年9月6日日曜日

印度学仏教学会でのパネル案内

 2009年9月8日・9日に大谷大学において、日本印度学仏教学会第60回学術大会が開かれます。(学会の案内はリンク先にあります。)
 その二日目9日の午後のパネルの時間に、「チベット仏教研究の可能性を探る」と題するパネルを下記の通り開催いたします。
 皆さん方の参加を心よりお待ち申し上げます。



  1. 日時:2009年9月9日 13時30分〜16時
  2. 場所:大谷大学1号館2階 1204番教室
  3. 学会参加費:2,000円
  4. パネル企画の趣旨
     最近のチベット仏教研究は、大きく様変わりをしてきた。チベット人僧侶の海外における布教、チベット仏教文献の大量の出版、インド仏教研究の延長ではないチベット仏教プロパーの研究の進展など、1980年代までの研究とは全く別物と言ってもいいほどである。
     しかし、次々に刊行される膨大な文献に比して、チベット仏教研究の成果は必ずしも豊富とは言えない。まだまだ未開拓の分野、領域、テーマばかりが山積みである。膨大なチベット仏教文献の大分部には手も付けられていない。なぜ研究の裾野が広がらないかを考えるとき、そこにチベット仏教研究の方法論的な難しさが浮かび上がってくるように思われる。
     現在、日本で活発にチベット仏教を研究している、あるいは研究することが期待されている先生方に、それぞれの研究の方法論、スタンス、そして今後のチベット仏教研究を志す若い研究者への提言などを報告いただき、それに基づいて、方法論的な問題についての意見交換および議論をしていただき、今後、チベット仏教研究をどのように進めていったらいいのか、その可能性を様々な角度から検討したいと思う。
     特に、世界のチベット仏教研究の動向に比して、日本における研究者の層は薄いとも思われる。なぜ、日本のチベット研究が盛んにならないのか、そしてどうしたらいいのか、その原因と解決策についても探りたい。

  5. 発表者:(発表順・リンク先に要旨を掲載している)
  6. 報告のあとに全員で質疑応答・ディスカッションをします。発表とは別に、経験談を話したり、お互いに意見交換をしたり、会場の参加者にも議論に参加していただけます。

2009年9月5日土曜日

福田洋一「チベット仏教のためにできること」

 今の私の研究姿勢ないしはチベット仏教研究に関わる姿勢は、単に学術的な業績を積み重ねるという興味ではなく、チベット仏教、引いては仏教そのもの、釈尊の教えに対して、私ができることをすること、何らかの貢献をすることにある。

 長い間手探りでチベット仏教の研究をしてきた。その最初の出発点は東洋文庫でのゲシェ・テンパゲルツェン先生に教えを受けたことにある。そのことがなかったら、その後の私の研究はもっと違ったものになっていただろう。チベット仏教を文献だけで研究するには限界がある。伝統が途切れてしまったものについては、文献に基づくしかないことは言うまでもないが、チベット仏教はその伝統が途切れることなく受け継がれている。われわれ外国人はその伝統そのものに入ることは難しいだろう。しかし、できる限り正確に理解し、それを他の人に伝えることによって、その伝統になにがしかの貢献をすることはできる。

 ゲシェラは私がチベット人と同じように研鑽を積んでいないことを十分に知っていながら、私のどのような質問にも真摯に答えてくれ、またそのようにチベット仏教を学ぶことを喜んでくれた。少しでも仏教が伝わることを望んでいるからである。その期待に、微力ながら応えたいと思う。私は個人的な業績としてではなく、仏教に貢献できることを目指して研究をしていきたいと考えている。

 このようなスタンスの元で、これまでチベット仏教文献を教えてきた経験から、チベット仏教研究あるいはその教育の困難な点について整理し、以下のような問題提起をしたい。
  1. 独学の困難さ。学べる機会が少ない。
  2. 一定の知識レベルに行くまでに時間がかかる。
  3. 文献量が膨大である。それに比して研究が少ないので、研究テーマを切り出すのが難しい。

2009年9月4日金曜日

根本裕史「ツォンカパ研究の方法論的展望」

 欧米や日本におけるツォンカパ研究は20世紀初頭に開始され、1980年代以降に本格化した。方法論的な観点から見て特に注目されるのは、J. Hopkinsを中心とする北米の学者達による研究である。彼らはガンデン、セラ、デプンといったゲルク派の僧院に属するチベット人学僧の協力を得ながら、ツォンカパの著作やゲルク派の関連文献の英訳および内容分析を行なっている。イクチャと呼ばれる僧院教本の活用も彼らの研究に特徴的な点である。これらの手法はツォンカパの思想をゲルク派の文脈の中で捉えようとする際に極めて有効であると言える。


 発表者もツォンカパ研究を進めるに当たり、この方法を実際に取り入れてきた。2004年から2006年まで南インドのムンドゴッドに再建されたデプン・ゴマン学堂に留学し、ゲシェ・ララムパ(上級ゲシェ)の指導の下、認識論、波羅蜜多学、中観学を学んだ他、ツォンカパの『善説真髄』や『密意解明』の研究に従事した。引き続き2007年から現在に至るまで、広島のデプン・ゴマン学堂日本別院(龍蔵院)にて同学堂出身のゲシェ・ララムパ達と共同研究を進めている。


 従来、必ずしも全てのツォンカパ研究者がこの方法を採用してきたわけではない。しかし、現代に至るまでゲルク派で読み継がれているツォンカパの著作を読み解くためには、彼以後に作成された関連文献を参照することや、ゲルク派の学僧の協力を仰ぐことが不可欠である。なぜなら、これらのことを行なわないならば、ゲルク派の学者達の共通見解を無視して誤解に陥る恐れや、彼らの間で争点となっている事柄に気づかないままでいる危険性があるからである。


 では、具体的にどのようにこの研究方法は有効なのか。本発表ではツォンカパの中観作品に見られる縁起思想を題材に取り、後代のジャムヤンシェーパの著作やゴマン学堂のゲシェによる口頭教示を活用した研究方法の有効性と、ツォンカパ研究の新たな可能性を指摘することにしたい。


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2009年9月3日木曜日

吉水千鶴子「新出カダム派文献研究とチベット仏教思想史の再構築」

 近年のカダム派系文献の発見により、チベット仏教研究は転換点をむかえている。これまで知られていなかった仏教後伝期初期(10~13世紀)のチベット仏教の姿が、これらの一次資料をとおして正確に知られることとなったのである。これにより、これまで研究の中心であったツォンカパとゲルク派の思想、あるいはサキャ派の思想が生まれ出た土壌が明らかになり、チベット仏教思想史全体を再構築できる期待が高まっている。しかしながら、これら新出文献の研究は始まったばかりであり、ここでは、その研究が進んだときにもたらしてくれる成果を予想しながら、私たちはどのような問題について考慮しながら、チベット仏教思想史の見直しを行っていくべきか、提言を行いたい。

 カダム派新出資料のほとんどは、近年出版されたカダム文集に収められている。とくに研究者の注目を集めているのは、パツァプ・ニマタク、チャパ・チュキ・センゲなどの著作であり、欧米でも研究が始められている。ここに含まれない新しい資料としては、サパンの師であったツゥルトゥン・ションヌ・センゲの著作、私が現在写本研究を行っているシャン・タンサクパによるPrasannapadā 註釈などがある。

 チベット仏教のコアを形成する論理学と中観思想に関して言えば、これら後伝期初期の文献を垣間見ただけでも明白なことがある。それはすでに前伝期に決定づけられ方向性ではあるが、論理学とそれに依拠した自律論証派系中観思想がまず、チベット仏教思想の基礎にあり、後伝期に新たに導入された帰謬派系の思想もその基盤のもとに受容されたということである。そもそも、学説綱要書を頼りに理解してきた自立派、帰謬派などの学派分類とその学説も、11~12世紀の実情とは必ずしも一致しない。インドにおいてすら、6世紀以降の中観思想はすべて論理学の大きな影響下にあったのである。チャンドラキールティ著作の翻訳者パツァプとその弟子たちに帰せられる「離辺中観説」というものも、論理学と中観思想のある種の融合であることがわかりつつある。後代のツォンカパンの論理重視の姿勢は、こうした時代背景の中から生まれたと言えよう。この問題はほんの一端であり、私たちはこれまでの常識を捨てて、新資料を取り組み、より正しいチベット仏教思想史を描き直していく必要があろう。